地響きとともに大きな揺れ
今朝の大阪北部を震源とする地震。
震源にほど近い豊中市ですが、サロン部分も自宅部分も、周辺道路も含め被害はほぼありませんでした。
夫が仕事に出あと、一人でリビングでパソコンに向かっていた時に地響きとともに大きな揺れが。阪神淡路大震災の時の記憶がよみがえり恐怖が襲うなか、とっさにイニングテーブルの下へもぐったものの、「こんなテーブルの下に隠れたってぺしゃんこになるな。無力だ…」と思いました。そして、揺れが大きくなる中”地震です”という警報機の声。
手元に携帯があったにもかかわらず、それを手にすることも忘れ、テーブルの下へ避難。揺れが収まるのをじっと待ちました。
幸い、家の中はほとんど何も壊れたり飛び出したりすることはありませんでした。地震が起きたということだけはわかりましたが、規模も周りの被害もわからずすぐに確認したのは携帯。夫に連絡する手が震えていることに気づきました。
分かっているはずが、その時は思い出せない。動けない。
冷静なつもりでしたが、何をしたら良いかもわからず…SNSで停電=ブレーカー確認、ガス=復旧操作、とみんながしていることをみて「あ、そうだ…」と行動を。
あちらこちらから安否確認や、今すべきことの連絡があり、
- 車のガソリンを満タンに→連絡をみて東北の震災の時、深刻なガソリン不足だったという話を思い出す
- 水を汲んでおくように→お風呂だけでなく、精油抽出用の湧き水を組みに行ったときのタンク3つを水でいっぱいにし、一つは車のなかへ。一つは寝室へ。
- ライフラインが普及した間に安全確認しながら食事の準備→お米を焚いておにぎり。生の食材を保存のきく調理法で加熱。冷蔵と冷凍に分けて。
- 枕元に靴→避難グッズとともに靴も袋にまとめ足元へ。室内の移動時に持ち歩く。
その間も余震が続き、じっとしていると揺れを感じ、びくっとします。一人で居たくないのに打合せもサロンのご予約もキャンセルに。すぐ外に出らえるように経路を確保し、手元に携帯、ポケットに車のカギ。夫にもらったネックレスをつけ(もし、本当に万が一のことがあった時に私だと分かってもらえるように)。
普段は、何かあったらアレしてコレしてと考えることができても、いざという時には何もできないんだと痛感しました。
それでも、全国のあちらこちらのお仕事でお世話になっている方、古くからの友人たちからの安否確認と、○○しておいた方が良いよという経験からの言葉に一つずつハッとさせられ備えることができました。そして、普段忙しさにかまけ連絡をろくにしていない方たちからの「大丈夫か?」の連絡。心配してくださってありがとう。
市内の公共機関やそれに準ずる機関に勤めておられる方からの、災害支援の正確な情報がメールやSNSで配信される状況に、日本人はどこかで震災が起きるたびに痛みとともに大きな学びを得てきたのだなぁと改めて感じました。
東日本大震災も熊本自身も、大きな揺れの数日後に本震が起きたという事実があります。もう大丈夫と油断せずに、備えます。
6年前の建築中から我が家の土地でゴロゴロしているネコ。夕方のビーっとする姿を発見し、つかの間ほっこり一安心。